○カトマンズ2日目
ここの宿、ネズミの糞などあり汚い。最後の16,17日は高めの違うところに移ろうってことで我慢!
朝ごはんは昨日買ったスイカひと玉を切って食べた。日本と変わらない味で安心!他の宿泊者に「スイカ丸ごと食べてる日本人www 」などと思われていた気もして面白い。
ブランチがてら散歩。
ここカトマンズは盆地にありネパールで最も歴史を持つネワール族が暮らす地だそうだ。
街中に寺院があるのはインドと変わらないが、やはりなんとなく雰囲気が違う。
🇳🇵気づいたこと
①クラクションの音が少ない
インドだとクラクションの音で会話できなかったりしたがはここでは問題なし。ドライバーもクラクションを鳴らすにしても一回軽く鳴らす程度。
②コニチハ!など言ってくる人が少ない(快適)
③ネパール地震の影響はもうあまり見えず
・楢戸先生にお会いするの巻
午後3時からチベット料理店で楢戸先生と会うことになっていたので向かう。
楢戸先生はネパールで長年にわたって医療活動をされてきた方である。大学の先輩のつながりで紹介していただいた。
楢戸先生は「なんでも質問してごらん」と言って大らかに迎えてくださった。経験豊富な方だと思って会う前は恐れ慄いていたのだが実際にお会いすると気さくなお人柄で肩の力がほぐれた。
一方で「なんでも質問して」と言われると質問がなくなる…というかなんでも受け入れて疑問をあまり持たない自分は典型的受動的日本人なのだな…と思いがっかりした。
私は将来東南アジアで5年〜10年スパンで働きたいと考えている。そのためにはクリニックやWHOなどで働くのだろうと。変わるかもしれないけど。対して楢戸先生やその周りの方は活動によってお金を得ようとしていない。
私は将来この達観した働き方はできないだろうなと思いながら別世界の方として話を伺ってしまったためにすごすぎる、と感じてしまいもはや質問が出なかったというのもあった。うーん、どうにかしたい。
楢戸先生は家庭医のパイオニアである。
家庭医(総合診療)という概念がなかった時代に自分で各診療科を2年ごと回り、合計7年半?かけて「家庭医」になったという話は迫力がある。
また、単純に日本対ネパールの構図で考えるのではなくネパールの優れている点(ネパール人は基本的に優秀)・日本の優れている点(制度は整っている)・対して両者の足りない点(ネパールは言葉ではうまく行っているが、現場ではそんなことはない。言葉が本当か現場で確かめないといけない。例…この学校にはトイレが整備してあると書いてあるが実際には180名の生徒に対して使えるのはたった一個の壊れたトイレだったりする↔︎たらい回しの発生する日本。医療者なら困っているひとのことを助けられるはずなのに等)を公平に述べる姿がこれまでのネパールと日本での経験を物語っていた。
確かに日本の医療制度、総合診療に対してもっとこうであればと感じることはある。楢戸先生はそれに対して「足りないなら自分で作ればいい」というパイオニア精神溢れた方だった。
また、ネパールは年長年少関係なく?お金のある人がない人にご飯を振る舞ったり、貧しくてもそんな繋がりを大切にするという。豊かな国ほど自分の財産を囲い込んでしまうのは皮肉であるとも感じた。
・豪華な夜ご飯をいただくの巻
日本の大学生が研修でネパールにくるということで楢戸先生含め全員で夜ご飯を食べた。
ネパールの伝統的な鍋料理などとっても美味しかった。
食べても食べても下から出てくるので、空腹状態で行ったのに全部食べきれず。
日本からの学生は実習中に幼稚園などで日本食を作って振る舞うらしい。食文化体験的な感じなのかな?